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神々の国「出雲」 神有月道中記


事の始まりは、とある掲示板で10月の連休にツーリングに行きませんか?との書き込みを見て、出雲大社周辺の風景を撮影したかったので出雲に行きませんかと答える。
 これが今回のツーリングの初まりである。
 いつしか出雲ツーリングが縁談祈願ツーリングと変ったのか知らないが、出雲大社が縁結びの神様で有名だからであろう。

私は旅行のルート選定を任せられたので、 出雲観光のキーワードを古代製鉄と出雲大社参拝。 食する名物は出雲のそば、宍道湖のしじみ、地ビールがとした。
 計画の為に観光情報は出雲・松江にツーリング経験を持つライダーやインターネットで集め、100円ショップで購入した観光案内本と地図で確認しながら道を結んでいくのである。
 最近はライダーであっても、ルート選定を人任せにする方が多い。 しかし、ツーリングの醍醐味はこのルート選定から始まる。
 机上で選定したルート、仲間から聞いた情報、インターネットで調べた観光スポット等の情報から組合せて想像するのである。
 そして、見たこともない土地を頭の中でツーリングに何度も出かけるのである。  時折、情報提供をしてくれたライダーと走っている気持ちになったりと楽しかったりする。

 当日の朝は王司PAで九州勢と合流して高速を走り、鹿野IC?で降りて日本海へ
 長距離ツーリングなので、事前にバイク屋で整備/点検をしていしたので、快調に体に疲れを残さないように走っていく。

 しばらく国道9号線を走っていると、大きな大鳥居が道路脇に見えてきました。
 以前から津和野へ行きたいと思っていたので鳥居をくぐって盆地に降りると、山々に囲まれた「山陰の小京都」、津和野が現れる。
 この町は明治から昭和初期にかけての町並みが残っていて、白壁で有名な殿町通りへ行くと大勢の観光客が古都の白壁、小さい堀を泳ぐ鯉を見ながら散策をしていた。

 津和野川沿いに北上して益田町にでて日本海沿いに出雲まで走るのであるが、海が見えるころにはお腹が空いたので、サンパーク三隅道の駅に立寄る。
 ここから見える風景は海岸線を単線が通っており、所々に見える岩場は塩の後がついていた。
 この風景を眺めていると、バイクでなく鈍行列車の旅もよさげな感じと思ってしまった。
 ここまで走ってきて気になるのが、私たちが抜く集団、抜かれる集団の全てのバイクが福岡県内のナンバーを付けている。 何故、遠くに出かけて福岡ナンバーが多いんだ!!  これって、ひょっとして、僕らがインターネットで出雲ツーリングのメンバー募集の影響か?など等と相棒と話す。

 結局は団体の方が食事をしていたので、浜田市内に移動して浜田名物さざえ丼という看板の店で食事をする事にした。
 このお店は、ひと釜毎に生米から釜飯を炊き上げるので待ち遠しかった。 でも、釜飯のふたを開けると磯のかほりがテーブルの上を漂う。
 ご飯を茶碗に移すとたびに、ささえが住んでいた岩、それに打ち寄せる波の風景が脳裏に浮かぶ。
 口に頬張り食べるとミディアム状態に火の通ったサザエの身がコリコリと歯ごたえ、喉を通るときには上質のゼラチンを食べるようにつるりと美味しかったです。
 食事が終わると、鳴き砂などで有名な海岸線を走っていく。 UP、Downを楽しみながら走っていくと、なんか、変な風景が目に飛び込んできた。
 現実の世界でなく、アニメーションの世界というかそんな感覚がして、目に飛び込んで来る風景に遠近感がない。
 疲れたのかな?と思ってバイクを止めると原因がわかった。
 石見海浜公園に国道9号線を挟んで隣接している施設である石見安達美術館からしまね海洋館「アクアス〜」へと渡る為に作られた歩道橋が原因であった。 この歩道橋のデザインと色が、目に見える風景を絵画の世界に変えて不思議な気分にさせていたのであった。

  1年砂時計の施設のあるサンドミュージアムを横目でみながら、石見銀山の看板を頼りに出雲路への旅をいったん中断して山奥へ進んでいく。
 この石見銀山は16世紀〜17世紀の約100年の間には大量の銀が採掘され、戦国大名の軍資金や江戸幕府の財源として使われていました。
 また銀山が佐摩村にあったことから「ソーマ銀」と呼ばれ海外にも数多く輸出されたそうです。 17世紀前半の日本で生産される。
 銀は世界の産出銀の約3分の1を占めていたといわれています。 
 石見銀の産出量は年間38tと推定されるので、かなりの部分を産出していたと考えられています。 佐渡の金山、石見の銀山....
 小さな島国なのに世界で算出される貴金属 の数割を占めていたので、伝説の国ジパングという話ができても不思議ではないですよね。

 石見銀山に到着すると代官屋敷前の駐車場にバイクを止めて石見銀山の歴史を勉強。
 最初の頃は落盤も多く、命がけとか
 パネル説明されてもピンとこなかったけど、銀山跡地近くの五百羅漢を見ると、なんだか(ノ<)
 実感してくるような感じです。
 今年は昔の日本を追いかけながら観光しているけど、品質という意味の技術では明治以前の日本は捨てたものでは無いことに気がついてきた。
 後で出てくるタタラ&大鍛治にしろ、現代の技術では再現できない物を作っていたとかとか...
 
 まぁ、それぐらいの技術をベースで持っていなければ、頭の良い人が海外で活躍する程度だったと思う。
 急速に西洋化できたのは目的が大量生産でなかったので評価は低かったけど、技術レベルが高かった証拠なんでしょうね。
 と思いながら、100年以上前の技術に驚きながら資料館を見て回った。
 町中は観光客もいなかったので、住んでいる方々に迷惑をかけないように注意を払いながらバイクで回ることにした。
 といっても、古い建物を残す狭い道をゆっくりと、写真を撮るために停車したときにはエンジンを止めてパシャパシャ、
 きょろきょろしながら、また進んでいくと行った感じであった。
 道路を進んでいくと人気が全然ないので、以前と比較して観光客が少なくなったのかな?と思っていたけど駐車場に行くと大量の車が止まっていた。
 どうも、施設に入って見学している方が多かったのだろう。 そういえば、銀製品を加工している店からは女性の声で賑っていた事を思い出した。

 石見銀山の観光を終えて、海岸線沿いの道路に戻り、しばらく走っていると、段々と出雲の山々が水平線のむこうに見えてきた。
 見えてきた山々というのが、出雲国風土記に八束水臣津野命が国をつくるのに出雲国は小さすぎるので、現在の三瓶山と大山にロープを結び、韓国から石川県の能登半島の範囲で見える余った土地を引き寄せて継ぎ合わせ、 また、その時のロープは弓ヶ浜という海岸線になったと記されています。
 やっと、出雲に近づいたとの感動が実感してきた。

  出雲の山々は見えるが、出雲市内に入ったときは夕方の渋滞が始まった頃であった。 
宿泊予定しているホテルの近くにある西出雲駅を探しながら国道9号線を進む。
 コンビニで、この日、ホテルで合流する予定の関東から来ている方から電話連絡が入る。
どうもバイクで走行中にカチカチ山のタヌキ状態となって岡山あたりにいるとの事。
 相棒が途中まで迎えに行こうと言っていたが、初めて出会う方と知らない土地で、日が暮れた後に待ち合わせ場所も決めずに走っても
 お互いに迷子になるだけだから、予約したホテルがキャンセル扱いされない内にチェックインしようと説得してからホテルへと向かう。

 PM6時に道を探しながら出雲の町の中にでる。 相棒はは関東の方を迎えにと言っていたが、次に連絡が取れてからと説得する。
 出雲に入って最初に口にしたいものと思い、最初発見した手打ちそば屋でそばを食べる。
 両親に食べさせようとお土産を買うが....バイクに積んで帰ったので家に着く頃には団子となっていた。(笑) 
 そば屋では、私はそこのオリオジナルを食べたが、冷やし麺みたいで歯ごたえもいまいちだった相棒は割こそばを頼んでいて、ひとつ私にくれた。 割こそばは歯ごたえもあって、おいしかった。(ノ<) 次は割りこそばを頼むぞ〜
  そば屋を出るときに関東の方から連絡があったらしく、高速・米子道を北上しているとか? 相棒は松江まで迎えに行きたいようだったが....同じ事を繰り返して、関東の方が、例えば、道の駅等の発見しやすい場所に到着した時に迎えにと説得する。
 私だってお迎えにと思うけど、待ち合わせ場所を決めないで迎えに走ってどうする。(TT) 連絡があった時に私に変れば待ち合わせ場所を決めるのにと思ってしまう。

 ホテルに戻りまず到着祝いの乾杯と、関東の方が遅れても地ビールだけは飲めるようにとお土産コーナーで部屋に持って帰れる事を確認
 レストハウスでピザを食べていると到着の電話が入る。 急いでピザは急いで食べて、一緒にお出迎えに行こうと相棒をロビーで待つ。
 結局、独りで迎えにいっていたようだ。(TT) 勘弁してくれ。

 その後、関東の方は晩飯、僕らは乾杯として食事&宴会を始める。
 バイクの車上火災...マフラー付近から燃え上がった火は、たちまち鞄を燃やしやボディーが燃えて、そのボディーのプラスティック片がジャンバーにぴたりと、ぴたりとついていた....ライダースーツで無ければと思うほど大変なできごとだった。
 彼には悪いけど、火災に気がついて路肩に停車したときはカチカチ山の狸状態であったと体の怪我が火を消す時に焼けどした指だけでなのを不幸中の幸いと思った。