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日向道中記

7/24 22:24 荷物を車に積んで、後は出発するだけである。
インターネットで3日間の天気予報を見ると降水確率が上がっているのが気になってくる。
心配してもしかたないし、雨が降っても良いようにバイクを止めて車にしたんだし...
後は寝るだけです

−−−− 睡眠中 −−−−

7/25 04:00 自然と目が醒める。
何時だろうと枕もとの時計を見るとAM4時...さぁて、起きて出発だ!!
朝食は晩飯の残りの冷麺。 ラッキー
少しずつ元気になってきたが、今週は力仕事が多かったので疲れが残っていたのが気になる。

7/25 04:20 出発する
まだ、太陽が昇っていないが初日は力いっぱい走る予定なので、急いで高速に入る。
高速に入るとトラックが多い事に気がつく...いや、トラックしかいないのでわ?
小さな車なのと、最近、事故の話がニュースで多いので、
トラック軍団の後ろに少し車間をあけてついて走る事にした。

日が昇る前後が人間の活動(判断力)が一番鈍い時に移動しているトラック運転手は大変だと思ってしまう。
ちなみに夜明け前に人質救出したり、奇襲したりするのは、こういう理由だったりします。
それはしばしの間であった。 ふらふらしているトラックを見るたびに怖かった(><)

こういったトラックが以前より増えていた。
不景気が続いてドライバーに無理がかかっている...
それだけでなく熟練労働者に負担が掛かり過ぎていると思ってしまう。
最近、事故が多いよな〜

7/25 06:31 宮原SAで休憩
出発してから2時間が経過して、これから山道に入るので休憩
プリペイカードを購入する

意識的には坂を登っていると思っているのでなんとも無いが、
ここを走っていると、お化け坂のように見える。
つまり、緩急のある登りなのだが、急な坂と坂の間の緩やかな登り坂は下がっている道に見えるので、
オートマ車を運転している方が不用意なブレーキを踏むので怖かったりする。
そしてトンネルは長く、比較的直線なので、ついついスピードがオーバー方向で緩むが、
それ以外の部分はコーナーが急であるために、トンネルを抜けると心臓バクバクだったりする。

やっと、長い登り坂が終ると山川SAが近づいてきた。
朝早く山間を走るので開いている給油所が発見できなかったら困るのでここで給油をする
このSAは鹿児島に行くときの立寄り場所だったりする。

再出発して長いトンネルを抜けると遠くに霧島連峰が見える
カーナビはえびの高原を抜けて霧島神社に行くのが近いと指示するが、何度も走っていたので走るなら小林かな?
と考えながら、後の行程を考えてしまい。
まだ、まだ、迷っていた。

7/25 07:15 宮崎に入る
時間的には霧島神宮に立ち寄れそうです行ってみるか....まだ,悩んでいたりして
反対方向に霞神社の案内が、どうしようか? 時間があれば戻ってこようと、まず、霧島神宮へ!!

7/25 07:44 狭野神社
出発点を霧島神宮にするつもりで通過する予定だったが....
前をとおり過ぎるのも勿体無い感じがしたので、駐車場に車を止める。

確か前回はここに止めてかなり歩いた。
最初からハードなのも後が大変だと思って上の駐車場を探し停車する。

参道は樹齢○○○年の木々に囲まれた森林の中を歩いていく感じがする。
途中、わざわざ川が進路を塞ぐようにして橋がかかっていた。
これって、三途の川を渡ってあちらの世界に行く意味なのかな?
神社に入ると、先ず参拝してから写真を撮り始める。

参拝が終って駐車場に戻ってくると....なんと、駐車場で工事ヘルメットを被った集団がラジヲ体操をしていた。
何?何?なぜ?と思っていたけど、参拝客用の駐車場が工事現場の事務所として利用されていた。
悪い事はしていないんだけど、車は、体操の中心部分に停車していたので、気恥ずかしかった。(*^^*)

車を走らせて霧島神宮へと向かう。 御池に差し掛かる寸前に霧島東神社への道を発見する。
森林の中を走り池の奥へと入って行く。 道が終る頃にキャンプ地の入口と急坂を発見
急坂を登っていくと霧島東神社があった。
この神社からは御池全体が見渡せ左前方には都城の平野が見渡せる気がする。
参拝のためというより天孫降臨の聖地と伝えられる高千穂ノ峰を守っているような立て方といった印象を受ける。

参拝が終わり御池を写真に収めようと直ぐにパーキングに入る。 すると皇子港という看板を発見!!
何だろうと言葉に控えれて湖畔に下りていくと、ただのキャンプ地があった。(〜〜)なんだぁ〜
私は歴史がまだ神話の頃であれば、大きな池は海のような感じかな?と思ったし
港という名前の由来は、この池で漁業を営んでいて、その漁船の港だと思っていたのに〜残念であった。

しばらく霧島大社に向かっていたが、大社や跡地などを巡ると後の行程が大変だなと思って諦めて、
ひむか神話街道の入口である皇王子原の公園へ向かう。
ここで街道の案内図を見て入口を探しましてが、よくわからない?

カーナビの地図と案内板を見比べて見ると1個所だけ気にある道路があったので、
そこを始まりとして考えて東霧島神社へと向かう!!

丘というまでは高さはないが平地とは言いにくい、畑や時々見かける民家を抜けて走っていく。
右側が山で左側は平野という線路沿いの道にでて、その道を真っ直ぐに走っていくと東霧島神社が見えて来た。
僧が修行で訪れる神社というだけあって、入口になにやら貸出杖があった。 何故?
神社の中を進んで行くと、龍神が祭られていたり、木のトンネルなどがあった。
さて、本殿に参拝と思って奥に行くと.....Σ@@)

階段というより、大昔土砂崩れて、現在は岩だけが残っている急坂は視野に広がる

階段というより、鬼が無造作に岩を積み重ねて作った感じ...
見方を変えると、大昔土砂崩があって、現在は岩だけが残っている急坂である。
階段を上から見下ろすと、帰り道はどうするか悩んでしまった。
※階段は「鬼岩階段」と呼ばれて鬼が一夜にして造ったと伝説が残っているそうです。

霧島六社は近所にある神社と規模が違い、本殿へと山登りっていく感じの参拝です。
こうなると古代の神社は祈るというより、悠々しい姿の造りも加わって、視界に広がる穀草地帯を支配すると言った印象を受けます。
さて、話を戻し、東霧島神社の帰道、長崎などの山手にあるような坂道のような裏参道があったんどえ、こちらを降りていく。
下に降りると池があって鯉が泳いでいて、さらに進むと戦車ぐらいの大きさで、饅頭のような岩が祭られていた。
その岩は鬼が切ったとされていて、その切り口はソフト豆腐を包丁で切ったように気持ちよく切れていた。
この岩は「神石」と呼ばれて、イザナキノミコトが剣で三段に切ったとされているそうです。

東霧島神社から何か有るだろうと日和城へ
盆地というより平野に近い所を横切る....九州内では珍しい直線が続く
単調になり、ついつい、スピードを出しすぎないようにメータを見ながら進んで行く、反対側に見えた山の麓付近にくると日和城があった。
しかし入口が分らない? 麓の駐車場は商工会議所等の駐車場で従業員の車で埋め尽くされていた。
しばらく探すが発見できずに迷子になった時、民家の中を抜ける道を進んで行くと、それらしき駐車場...
従業員ようかな?と思ったけど誰も止めてなかったのでとりあえず止めて日和城へ
ここはこの町の郷土資料館だった。 周辺も写真を撮る場所もなく....苦労した割に何も観光しないで立ち去った。
そして、隼人族の首領と伝えられ、南九州の巨人伝説の一つにも数えられる「弥五郎どん」が祭られているというので、円野(まとの)神社に立寄って見たが普通の神社であり、ここから都城IC方面に行った所に道の駅になりそうな場所があった。
その後、都城ICから田野ICへ高速を使って抜けて、田野の史跡には寄らずに飫肥へと向かった。

 旅している時の思った事を書いていると、東霧島神社以降の評価が悪く書いあるように感じる人もいるので、帰ってからの反省を書くと、ひむか神話街道は観光スポットを繋ぐ街道であるのを観光道路と思ってしまい。 街道を走っていれば案内板があったり施設に立寄ればパンフレットがあると簡単に構えて出発したのが間違いだった。
 この時はまだ、まだ、地域によって取り組み方の差がでていると思っていた為に、帰り道も酷い目にあうのであった。
 次回はルートは沿いを利用するが、観光地はそれぞれの町の商工会議所が紹介している観光場所を訪れようと反省してしまう。  しかし、ひむか神話街道が無ければR10号線を降って宮崎市内に入って帰ってきたと思うので、今までとは違う宮崎を見れてよかったと思う。 
 まず、点を結ぶ線ができたといった状態であるので、年を重ねる毎に観光案板や史跡がリンクしていくのであろうと思う。 今回の旅は急旅だったので、霧島周辺、飫肥周辺、宮崎市、高千穂といった場所に宿を取ってゆっくりと観光するの良いのだろうと思った。

さて、話を戻して田野から北郷を抜ける道路はバイクだったら気持ちよさそうな道路であった。
バイク屋の看板を見て、こんな山の中にと思って道路沿いに目線を移動するとキャンプ地のような感じでハーレー屋さんがあった。 ちょっとユニークな販売展開しているんだなと思いながら先にすすんでいく。
 峠に差し掛かる頃に景色の良い所で非常にゆっくりと走られても別に気になる事はないが、変なリズムで走る車につかえてしまう。 
 色々とドライブやツーリングをしていると、地域による運転の癖があるので事故に巻き込まれないように車間を必要以上にあける。 自分のペースより速い車が近づいてきたら早目に譲る。 遅い車が前にいたら苛々しないように休憩する事に心がけているんだが.....
 スピードを出せる山道で路肩に寄せて休憩するのも危ないので、警察推薦の2倍ぐらい車間をあけてついていく。
 しかし、この車、ブレーキを踏み続けながらコーナーに入っていって、コーナー途中の見通しの悪い所で強くブレーキを踏んで15km/h以下まで減速する。 後ろから見ていると相対速度の変化に気がつくのは遅れるので、どき、どき、どき
 車間を開けていると思って少しでも気を抜くと (@@)ブレーキ、ブレーキ、対向車が目の前に....といった感じがつづく。
 無理して直線で抜こうとすると、その運転手は周囲をきょろきょろしながら速度を上げるので断念。 後続車両に煽られないように、出来る限り車間をあけてついていく。
 しばらく走っていると、コーナーで操縦ミスしてその車が直線でも速度を上げなかったので、これ幸いにと抜いていく。 (^0^)

 山の中を抜けて街に出る頃に、潮獄(うしおのだけ)神社を発見。 インターネットで隼人族の祖を祭っている等で紹介されていたが、行って見ると小さな神社であった。
 駐車場に車を止めると神主さんがこちらを眺めるので、県外ナンバーは珍しいのだろうか?と思ってしまった。
 そして、神主さんはお勤めをしに社の方へ出向いていった。
 少し、遅れて私も階段を上っていくと、愛くるしい狛犬が「誰だろ?」という感じで出迎えてくれる。
 社殿では神主さんと氏子が話をしていたので、邪魔にならないように手っ取り早く参拝を済ませて飫肥へと向かう。

 7/25 10:58 北郷の街中を気持ち的に迷子になりつつ飫肥の城下町へ到着
 流石に城下町だけあって街中は綺麗に整備されているし、南国にある小京都といった感じです。
 車を大手門近くの駐車場に止めてお城の方へ
 お城の門前に豫章館があって、ここは飫肥藩主が廃藩置県により場内から移り住んだ家だとか?
 邸内は明治初年に造られた主屋で飫肥藩の典型的な武家屋敷になっていているそうです。
 南国のイメージのある所なので室内でも暑いと思うのですが、軒先にいるだけ、かつ、後で見学した松尾の丸の中にいると、涼しい風がふいてきて一時の涼を得られました。
 今は機械で空気を冷やしていますが、昔は色々と工夫して自然な状態で涼めるようにしていたのですね。

 さて、豫章館から大手門をくぐると、塀に囲まれた1つが長い階段があります。 不思議に思っていたらインターネットで昔は馬が交通手段だったため馬の歩幅に合わせてあるとか、へぇ〜ですね。 ところで、この塀は外敵から襲われて倒されないように数十センチ後ろに小さな柱が立っていて、そこから棒によって支えられています。 
 珍しいと思ったのですが、ここの飫肥は薩摩と日向の境にあるので昔は国取りの最前線とか?、こういう点から防備に力をいれていたのですね。
 さて、話を戻して、松尾の丸方面に階段を上っていくと本丸方面に学校があり驚きました。 でも、福岡にある秋月なども学校になっていた事を思い出し。 国力は力から考に変わったシンボルだな〜と思ってしまう。
さて、ここ飫肥城は周囲に9つの城を配した平山城で松尾の丸はそのうちの1つです。 飫肥城内での生活が見れるようにと維持されていて、室内を散策する事ができます。 城の中を見学できる所は多いですが、こちらは政治の中心。 住まいを見れるのはなんだか不思議な感じがしました。
次に歴史資料館に立寄りましたが飫肥城の歴史だったので...足早く通り過ぎて大手門近くにあるここの偉人の記念館へ
共通券だったのでついでにと思って入ると、日露戦争の講和の立役者である外交官の記念館でした。
 実際には派手な勝ち方をしたという事もあって日露戦争は武力のみで大国に勝ち、英国や仏蘭等の割り込みによって不平等な講和を結ばされたと思い勝ちで....外交官達のふがいなさが記録に残っています。
 しかし、世界的な観点で見ると、日本が戦争で優位に立っていた緒戦で、国力が続かずに負ける?かつロシア内の問題を見てとった外交官の努力によって勝利したのです。
 この後、駐車場の道を挟んで向かいにあるお店で飫肥天を買った後に車で商店歴史資料館に立寄って猪鼻崎へ。
 ※白壁のある所を車では散策と思いましたが狭くて無理でした。 訪れた方は歩いて散策してください。白壁と溝を泳ぐ鯉を見てまわるコースはオススメです。
 日南市街地を抜けて猪鼻崎へ。ここはお店屋さんから随分と歩かないと行けないのかな?と思ったうえに駐車場は満車だったので、南郷道の駅に向かう事にした。 以前、ここに来て、海の見える素敵な景色を思い出したからである。

7/25 12:34 南郷道の駅に到着して食事しています
 ここまで雨が降るとの天気予報を裏切って天気は良いのですが、湿度が高いので低温サウナみたいで汗だくです
 昼にマグロ丼にとろろを足して食べていました。 ついていた味噌汁はムール貝の貝汁で驚ろきました。
 いつも、貝汁はあさりとおもっていたので目からうろこが....でも、旨かったです

 南郷道の駅の休憩施設は南国ムード溢れるので海を見ながら過すのも悪くありませんが、海の底が見えるぐらいに透き通った海や島々に青空を見ていると時間が止まったように感じます。 また、背後にある亜熱帯作物支場の有用植物園へと散策路が続いているので、花を見ながら散策して展望台より風景を楽しむのも格別のようです。 カメラ好きな方にとっては一日中、ここにいても飽きない場所だと思います。 ぜひ、旅の目的に都井岬から飫肥までの海岸線をドライブして楽しんでください。 私も1日はこちら方面に時間を割けばよかったと後悔しているところです。
 さて、幸島への道の途中で土砂崩れで行き止まりだったので、写真を撮りながら少し南下する。 パーキングに車を止めて写真を写していたらある記念碑が目にはいる。 この美しい海は回天練習地だったとの事でした。
 ここでUターンして鵜戸神社へと向かう。 映画の舞台にもなったという途中にある油津港に魅力を感じながら、どの辺りが観光に最適なのか分らないので通過していく。 また、シャンシャン馬発祥の地である神社の看板にも魅力を感じながら....日南サンメッセのモアイ像をゆっくりと撮影したいので通過する。

 鵜戸神社はバスも利用できる駐車場に止めると1kmぐらいの山道を越えないといけない。 本日、1日、歩きすぎたので少しでも歩かないで住む場所と思っていた。
 たまたま案内にしたがって狭い道を登っていくと半島をぐるりと巡る道に..ひょっとして、(^^)ラッキー
 そう、探していた道に来ていたわけである。

 鵜戸神社の駐車場で咽喉を潤して歩いていく。 鳥居を過ぎて現世との別れを意味するのか、これから先は聖域という意味なのか赤い小さな橋を渡る頃は、水平線が目に飛び込んで来た。 綺麗な海だ!!
 ちょっと橋から海や今、来た方面を撮影する。
 ここまで、この季節の宮崎にしては涼しいなと思っていたが、低温サウナに入っているように全身が汗で濡れていた。
 ふぅ〜咽喉が渇くわけだ。

 そして、この橋から3Fぐらい下へ降りるような階段が続いていて、その脇の洞窟に神社がある。
 階段を下りて洞窟内を散策する。 湿度も高く神社の裏手は暗いだけにちょっと不気味
 んで、入口で願玉を買って願い事がかなうように岩に投げるが....全て入らない。
 はやり、他力本願はだめとのお告げなんだろうね。

 そして、階段を上り駐車場に向かう。 歩いているとメガネに水滴が数滴付着する。 何?
 近くに水はないし...聖域内で写真を撮った罰?
 こころでごめんなさいと誤まりながら車に乗り込むと....天気雨が降り出した。
 逆に本日、数箇所の神社に参拝されているんだと思ってしまう。

 デジカメを持っているので、傘は必要かな?といった程度の雨の中をサンメッセ日南に到着する。
 本当は青空をバックに撮影したかったけど贅沢は言えないと思って、ラウンドカーを借りて園内を散策する
 雨は降っていたが雨はランドカーに降りこまないので、のんびりと写真をとりながら高台にある地球感謝の鐘に向かう。
 逆に言えば、小雨のお陰で人が入っていない風景が撮れると喜んでいた。 この時はね....

 地球感謝の鐘の像は、真中が人が一人通れるぐらいの通路になっていて、春分の日・秋分の日に近い日に太陽の光道筋が通るそうです。
 また、奥にはサヌカイトフォーンという楽器があって、その通路の中にいると、大地が生んだ希有の音を聞かせてくれます。 ちょっと不思議なところです。 
 そして天空の塔と思っていましたが雨足が強くなってきたのと、道から写真を撮っていた事もあり、モアイ広場へと急ぐ。

 モアイ像を撮影している時は、傘を持っているので雨の中を撮影できていたが段々と雨が強くなっていく。
 ちょっとここでモアイ像について脱線。 
 資料によると、倒壊したままのモアイ像を(株)タダノ+αが修復の奉仕をした事の感謝と、お互いの創始者が弟子関係だったという理由からここに復元されたそうです。 ちなみにイースター島以外でモアイ像がある場所はこの宮崎だけであり、復元許可が言葉で言い表せない感謝の気持ちである事が分る。 この辺りはサンメッセ日南のホームページを見てくださいね。
 そう、そう、イースター島のモアイ像に日本人が落書きが国内では話題になっていたが、神様に落書きした分けで、
 外国では宗教戦争がいまだにおきているので、この奉仕活動がなければ....(××)想像するだけで怖かったりする。



 話を戻して、モアイ像を撮影していたときは青空が見えていたが、ラウンドカーに乗込む頃は土砂降りになっていた。
 げげ...急いで駐車場に戻ろうとするが、道は川になりかけていた。
 
 7/25 15:03 スコール
 ラウンドカーを返却して売店に入るが、段々と雨足が強くなる一方で既に全身が濡れていた。
 傘を持っていたし雨が止むのは当分先と判断して、車の中に飛び込む

 汗かきの私が夏場の宮崎に行くので、汗臭いで周囲に迷惑をかけそうな時の予備と、偶然にもズボンと靴を持って行ったきたのがラッキーだった。
 車中で上だけ着替えて出発する。

 途中、道路は先ほどまで照り付けられてHOTになっていたのか、豪雨の中でも道路から湯気が立っていた。
 ひょっとして雨が降らなければ、アスファルトで目玉焼き?ができるのかな?と思いながら
 サボテンアイスクリームを目当てにサボテン公園へとやっていく。

 ここでも雨足が強かったがとりあえずアイスクリームを買って車に戻る。 
 店員はえ?という感じで私を見ていた。
 たぶん、わざわざ、雨の中を観光はしないでアイスクリームを食べにくるなんてと思ったのでしょうね。

 アイスクリームを食べて終ると、強い雨が降っているので観光も楽しくないとホテルに早目に入ろうと道を急ぐ
 走っているうちに海岸線が崖のような所を通過していると、あれ? ドライブインが変なところにある。
 観光バスも止まっているしと思っていたら、バス停があって「堀切峠」とかかれていた。
 私の頭の中では、峠というので、青島から半島方面とか、山沿いに走ると思っていた事ともあり
 また、この道は過去に2,3度通過していたわけでして...知らないだけで何度も訪れていたのにはびっくりしました。
 日南方面は雨雲が垂れ込めていたが、堀切峠付近は降っていなかったようなのでUターンして、堀切峠からの写真を撮る。
 外人観光客が多かったので二度びっくりする。
 
 青島の前を通過すると、雨が降りそうもないので立寄ることにした。
 駐車場の管理人に聞くと、どうも青島周辺だけ雨が降っていないようなので、急いで青島観光に行ってくる。
 歩道橋を渡ると、お土産屋さんがで生バインを力イッバイ冷やししていました。 あれ?
 ちょっと懐かしい道 
 誰か、パイナップルをどうして食べるか悩んでいた事を思い出す。宮崎監督作品の映画のひとこまだったかな?
 タイトルを忘れたけど、小学生の頃の自分を連れてOLが東北へ旅にでる話の中にバインの話を思い出しながら青島へ

 日南から青島にかけての海岸は千畳敷と言いたいぐらいに、砂浜でなく波に侵食されている岩場である。
 特に青島周辺は岩場になっていた。 青島神社に参拝してUターン
 市内に入る頃は夕方の大渋滞が始まり、逆に先ほどまでの雨も止んで晴れてきた。

 PM5時ごろにホテルに入り飯を食べて宮崎市内観光と思いましたが、
 繁華街のどまんなかで、今日一日、歩き詰めだったのでホテルの2Fにある居酒屋へと入る。
 このお店が特徴のある店で、百年の孤独などの宮崎の焼酎を揃えていたので、
 本日に通過した焼酎を飲みながら、今日一日を振り返りつつ...ついつい飲み過ぎて泥酔状態
 ひとりだと酔いが早いですね。
 本日飲んだ焼酎では、月の…書道でかいたラベルの日南の芋焼酎が美味しいかったです。
 今日は500Kmと走り専門でしたので、明日はゆっくりと見るが専門で回ってきます。

 とホテル部屋に戻りベット寝る寸前に衛星映画の面白いのが始まり、結局、眠りについたのは23:30でした。

7/25 06:00-起床
 前日のアルコールが残っていたので風呂に入る。
 (~〜~)ユニットバスは狭いな〜

7/25 07:00-朝食
 バイキング形式なので、好きなだけ食べれそうだけど、
 ウインナ−や卵焼きに近いスクランブルをおかずに朝食を食べる。

7/25 08:00-二日目出発
 前日の疲れが残っていて、予定より出るのが遅くなる。
 市内見学は後にして綾町へ直接向かうが....
 カーナビはR10号線を南下して都城へと誘う(^^)本当に訳にたたない
 学習機能がついているHDDカーナビの筈なのに、何を学習しているのだろう?と思ってしまう。
 昔のカーナビの方が賢いと思うのは私だけであろうか?
 カーナビの案内が煩いので途中でガソリンを補給しているときに降り消す。

7/25 08:40-綾町到着
 水分補給の為にコンビニに立寄る。 久しぶりに7−11に入ったので置いてある商品に見とれてしまう。

7/25 08:50-酒の泉社に到着
 酒の泉社は定番の観光場所で、2ヶ月まえにも来たばかりあので、今回はちょっと除いてパス。
 でも、ワイン工房やガラス工房などはオススメです。
 前回は酒風呂に入って風呂場から見える綾の森林を再現している風景を見て疲れ癒しました。
 さらに酒好きの方から隣接している焼酎工場も立寄るようにと言われていたのをスッカリと忘れていました。

 9:00頃に本日、綾町を案内してくれる。 「デジろぐ」でのお友達と待ち合わせ
 半年以上もメーリングリスト(電脳的集団文通)でメールを読んでいたので、
 どんな方かは知っているといっても、初対面なのでちょっと緊張していました。
 普通の近所に住んでいるおねーさんタイプだったので安心しました。

 先ずは、綾の照葉(てるは)大吊橋へ
 車を少し走らせると森林が深くなって視界の天辺に釣橋が見えてくる。 凄いと思いながら公園の入口に
 橋を渡らないかといわれましたが、無理して渡ると高い所怖い病が悪化して横断歩道橋も渡れなくなるので見るだけにしました(残念)
 まぁ、小さい時に斧を持って親から逃げ回る時に高台から落ちて斧が耳をかすめてから全く高台は駄目でして、
 幼稚園の時なんて3Fに登ろうとして腰が抜けて動けなかった事を今でも思い出します。

 さて、この大吊橋は歩道吊橋としては世界一で、世界遺産に惜しくも登録はされませんでしたが
 綾町が大切に育ててきた「原生の照葉樹林」に分け入る人の道だそうです。
 ※最近、鉄塔と立てる為に自然破壊しようとして問題になっています。
 対岸から見ているだけでも気持ちよくなるぐらいの緑。 都会の喧騒を逃れてここに来るだけで宮崎に来た思い出になります。
 私は資料館の方に入って、照葉樹林に住んでいる木や動物の資料を見てきました。

 そして、次に綾城(歴史資料館)や国際クラフト等がある所へ 綾城のある城郭一帯を郷土資料館にしている感じなので、案内されなかったら面白くないと思って絶対に立寄らない場所でしたが...いざ、中に入ってみると道の駅のような楽しさをアレンジしている施設でした。

 中心となる綾城は再現するに当たって木造で3F以上を作るのには建築基準で駄目な所を諦めずに、関係省庁を説得して回って、ついには時代考証に基づき再現したそうです。
 歴史資料館になっていますが、3Fからの眺めは緑豊かな町だけに目を楽しませてくれます。
 また、入口付近では工芸(染色、陶器、織物)などを体験できる場所となっていて、これらを目的に1日を費やして、夕方は酒の泉社でお酒を堪能する旅行いいなと思いながら見て歩きました。
 また城門近くの木造小学校のような建物の中を除くと、明治以降の農家の歴史とばかりに農機具等が展示されていました。

 また、また、車で移動中に綾馬事公苑側を移動したので立寄ると広い公園と思っていたら乗馬クラブでした。
 駐車場に止めると競走馬のように覆面をしている馬が放たれていたり、馬を運動させる所は競馬場のような感じでした。
 ??が残ったので、インターネットで調べてみると、この町は古くから競走馬を育てていたのでその特徴を生かしたとの事
成るほどと思ってしまいました。
 また、駐車場横には直径28mの花時計があって2万本の花々が植わっているそうです。
 こちらは記念写真と思って花時計をバックに写真を撮ると、大きいあまりに小人のように映るので注意(^^)あははは

 綾城の体験工房で話がでていたので、世界で最も高貴な色といわれていた貝紫?..
ヨーロッパでは「帝王紫」とか「クレオパトラの紫」と呼ばれていた紫色を復元された方のいる、綾の手紬染織工房へ
 私達が見学するにはどこから入ろうかと迷っていると、たまたま、染織家の方が作業をしている所に出くわして、案内をしていただく。 この時、私はそんなに有名だとは思ってなかったけど...あはははは
 しかし、展示している藍染めの品を見ていると夏場でも涼しく感じます。 また、藍染めというと和服等のイメージが強いですが、バンダナや洋服に合うような小物も売っていて、こういった物には無関心な私も眺めている内に1つ買ってしまいました。
 帰ってきてHPを見ると、マウスパッドも販売していたとか!! うぅ....欲しい!!
 そう、そう、ここでもハンカチやスカーフの染色体験ができるそうです。
 達人の製品を見ながら、Myオリジナルの作品を作るために染色を体験していくのも良いと思いますよ

 たま、たま、藍染めの技術を持っている部族へ芸能能人がやっかいになるTV番組があったのですが、
 その中で瓶の中で藍の元を発酵させることで色を出すそうです。
 染色した後までもその微生物は生きて入る為に、それこそ、藍と語らうようにしながら色を出すそうです。
 藍は虫よけにもなるそうなので、蚊に食われやすい方はこういった服を着ていると良いのかも知れませんね。

 食事まで時間があったのでアジアン雑貨に立寄っていく。
 このお店は外から見た目は普通の住宅で車も民家の駐車場に止める感じで入っていきます。
 駐車場から入口に一歩入ったとたんに、雰囲気は東南アジアです。
 まず、入口にいるかえるの人形の集団に出迎えられて奥へ、店へと入っていきます。
 お店も屋根裏部屋付きの普通の家2軒を1つにした感じなんですが、中の雰囲気は....
 特に私は猫の観覧車が面白くて、購入しようか、どないしようかと悩みました。

 その内に時間となり、「そば処 境 内」へ
 お店は田んぼの中にある昔ながらの民家の中にあって、案内が居ないと分らない場所でした。
 これが隠れ家的なお店かな?
 私は特製という言葉に弱いので、ひやしそばを注文。 これが正解でした。
 どんな食べ物かといえば、「かけそば」というイメージで汁がキンキンに冷たい汁になっているかけそばでした。
 冷蔵庫で冷やしている麦茶と間違えて飲んでもショックを受けずに、お代わりと言ってしまいそうな美味しい味で
 そば粉100%の細切りソバに大根卸しが入っているシンプルなもの...でも、この味は真似できそうで、ここでしか食べれない味でした。
 洋風の小物がついていて、食べ終わると紅茶(又は珈琲)とお菓子を頂きました。

 このあと宮崎の友人宅にお邪魔して猫に遊ばれながらひと時を過しました。
 そう、そう、夏場に宮崎を観光していると暑い((((@@))))というイメージがありますが、以外に室内へとそよぐ風が涼しいので、びっくりしました。
 
 ちょっと観光案内みたいになったけど、女性グループなどは綾町の民宿に宿泊して、昼間は体験工房で遊んで、夕方はお酒を堪能するのもお勧めかもしれませんね。
 ただ、お店を探すのに、オリエンテーリングの気持ちになるのが、ちょっとですけど。

7/26 14:07 天城公園にきました
 その後、友人の道案内で天城公園に到着、ここで友人と別れてお城の方へ散策
 高台にある運動公園といった感じで見晴らしがよく、天守閣内を撮影しに木陰を選んで散策していると木と木の間から市街地が遠くに見えました。 
 後で地図を見ると、大淀川、霧島連山、日向灘を望む事ができるようです。

 しばらく歩くと天守閣が見えて来る頃に売店があって、その入口にあるのぼりに「名物で梅干しモナカ」と書いてあって、見ながらおぉ...
です
 インターネットで調べたけど謎でした? 買えばよかったかな?
  
そして、宮崎東から高速に乗り、バビューンと西都へ移動。
一部区間が片道交互とは知っていたが場所が分らなかったけど、カーナビに工事マークが表示、数十メートルの違いであった。
そういえば高速を走っていると事故や落下物なども表示してくれる嬉しい機能である。

高速を降りて西都市。 ここは大規模な古墳群で有名ですが2ヶ月前に訪れたばかりなので都濃へと急ぐ。

7/26 15:05 小丸川(おまるかわ)を通過。
河川名は子供でも読めるようにひらがなで書いてある。 河川名を見てうぷぷぷしてしまった。
川を越えると10号線の方へと近づいていくのですが、目の前に城が見えるので立寄ってみる事にする。
この城は高城といって日向国を支配している城の中でも最強の城であったそうで、一度も落ちることはなかったそうです。
今は城山公園高城城址といって、公園になっているという事で、カーナビを頼りに入口を探すのですが...ない?
何度かUターンして、茂みの中に行く道がそうだと思って車を進めると、奥のほうに広い公園を発見。
城を模倣した時計台のような展望所が立っていた。

ここから周辺の風景を撮影しようと中に入ると、草履が丁寧に脱がれていた。 Σ(@@A
上に上がるとスリッパが丁寧に脱がれ、ベランダにある椅子には遺書のような紙束がおかれていた。
 Σ(==A ひょっとして死体の第一発見者
怖い想像をしないようにして風景写真を撮りながらおそるおそる回っていると、おやじが気持ちよく新聞を読んでいた。
 (00A 安心した反面...怒りがふつふつと....


7/26 15:57 このまま家に帰りつくような勢いで都濃ワイナリーに到着
 ワインの製造を見たいと思っての観光としては神戸/綾町以外のワイナリーは、熟成タンクを眺めるだけなのでいまいちです。
 でも、このワイナリーは想像したよりも高台にあって見晴らしが良く
施設内の芝生の緑が映え、遠くに見える日向灘も素晴らしいです。
 R10を北上中に食事に立寄るには良い所だと思います。

 都濃ワイナリーをR10号線に向かって降っていくと、R10の海側に都濃神社を発見
 小さな神社と思っていましたが、駐車場を探して周辺を移動するに連れて思っていた以上に大きいので驚きました。
 帰ってネットで調べてみると、日向国の国府の近くにあるどの神社よりも神位が高く扱われ「日向国一之宮」となったそうです。
 そして、神社の紹介で「神武天皇がご東征の際にここに立ち寄り祈願されたと伝えられています。」と書いてあり、
 また、日本海軍発祥の地として、東征に九州から出港した美々津も近いので、なるほどと思ってしまいました。
 今までリニアモーターの実験が他所に移ってから、何もない所と思って通過していただけに立寄って良かったと思いました。

 真っ直ぐとホテルに戻っても良かったのですが、疲れていなかったので、
 ひたすらR10を南下して、無理に一ヶ葉有料に入ってここのパーキングで休憩
 このパーキングからシーガイア近くに見えます。 また、海岸にも行けるので立寄ってみると
 波が強いと聞いていたけど、予想を越えた強さでした。
 海岸工事の鉄板に波が当たって、数mも潮が吹いていました。 凄!!

 そして、まだ、まだ、平和公園が空いている時間だと思って平和公園へ
 道に迷いながら走っていると目の前に宮崎神宮が見えたので駐車場を探して先に参拝する事にしました。
この神社は思っていた以上に大きく...森林の中(といっても参拝道です)を走っていくと駐車場があって
 そこで車を降りて更に歩いて行くと遠くに神宮が見えてきました。
 
7/26 21:29  驚いたのは宮崎神宮では伽藍楽の笛の音が響いていました。
最初はテープと思っていたら、帰りにお守りなどを買うところにいる方が本当に吹いていました。
良く、平安絵巻ものに主人公が吹いていますが、それを思いだすと、神宮の雰囲気もあって、しばし、気持ちはタイムスリップしていました。 このあたり、日本人に生まれて良かったと思いますよ。
神宮自体も内宮と外宮があり、昨年にいった出雲大社を思い出しました。

宮崎神宮をでて、少し山手に平和公園があります。
ここにある平和のシンボル?の平和の塔があって、塔の四方を武人、漁人、農人、工人が守っているようです。
私にはどの像も勇ましく怖く見えたので、4つの鬼門を守っているのかと思ってました。
そう、そう、駐車場から平和の塔の間に芝生+花壇があって、その中央で拍手をすると平和の塔が反響いたします。

そして、併設している埴輪公園は今まで夜に立ち寄っていたので不気味な場所と思っていました。
どのように不気味かっていうと、誰も居ないのに見つめられているからです。
今回は明るい内に行って見ると、面白い格好の人形(埴輪)が多数いました ← この人形の目線だったのか(*^^*)恥
沢山の埴輪は、それぞれ個性があって面白かったですよ。
馬や武士だけでなく、はたを折っていたり、ムンクの叫びのような顔....等など
公園内を散策して、お気に入りの顔をしている埴輪をカメラに納めてきました。

そしてUターンするとホテルに意外と近くてびっくりしていました。
部屋に戻ると汗疹ができていたので、汗を流して隣接しているデパートの9Fでお食事をする。
とうとう、バイク仲間から教えてもらった、地鶏の美味しい店に行けなかった。
やはり、一人だと居酒屋には入りにくいよね。

明日が最終日、九州でも山深い所を移動するので、10時には就寝
7/27 00:17 ひょんなことで目が覚めた。
街のメインストーリート沿いに宿を取ったので、酔っ払いの大声と暴走族の排気音で目が覚めた
もう一度、寝ます

7/25 06:00-起床
 二度寝ができないので、映画を見ながら出発準備をする。
7/27 07:27 出発します。
 めちゃくちゃ天気が良いので、安心して山の中に入っていけます。
 ガソリンには余裕があったけど、日曜日が休日の所が多いので西都市内で満タンにする。

 少し走ると九州山脈の入口へと到着。 川沿いの道を山に向かって走る。
 観光バスも快適に走れるぐらいだったので、森林の色が川面に映えて輝く川に見とれながら進んでいく。
 走りを楽しみながら進んでいくと、ひむか神話街道の看板を発見。 一部区間は狭いので観光バスは×との事

 離合が大変そうな山道へと入って行く。 交通量が少ないのでスムーズに走れるが慣れていないと大変な所であった。
 時折、広い場所で車を路肩に止めて休憩するが、山々の峰が重なって薄雲に消されるような風景がみえる。
 随分と山奥に入ったと思うが、まだ、まだ、山道は続く。

 1時間以上も山道を走っていたら走りやすい所へとでる。 そして数台の先客がいる雄一の展望所を発見。
 ここで少し休憩しながら、オフ車が入り込む林道を広げて舗装した道路だという事に気がつく。
 この道であればロードバイクも林道ツーリング感覚で楽しめそうだと、この時は思っていた。

 展望所から数分後にやっと下り道、トンネルを抜けると.....山の斜面一帯が坊主状態。
 ひょっとして、この道路を作るために風水害に耐え切れずになったのでは?と思ってしまう。
 こんな九州山脈の山奥でも...こういった状況なのと驚いてしまう。 人の目に触れないだけに酷い状態だった。
 ※それとも、ひむか神話街道を目当てにしたゴルフ場開発なのかな?
 ちょっと考えさせる風景でした。 実はこの2年間、舗装されている山道を走ると秋でもないのに紅葉が見られるのである。
 紅葉に見える種類の木々なのかな?と思うが、記憶を紐解いても以前に紅葉が見れた記憶がない。
 

 そこを後にして、しばらく林道を下っていくと開けた盆地にでる。
 案内板は左と指していたが、西の正倉院等は右と指していたので、右に曲がり百済の里へ行く。

7/27 09:59 ラリーに参加したような状態だった林道を抜けると、
九州山脈を抜けたと思うばかりの平地にでた。 カーナビを見ると南郷村のようだ。
小川を渡ると、ひむか神話街道の案内標識は左であったが、観光で来ているのでカーナビの指示にしたがって西の正倉院へと右に曲がっていく。
広い道路にでると随分先の方まで見渡せる盆地にであった。
四方が山に囲まれていなければ、都城や人吉に匹敵する所になっていたんじゃないかと思うぐらい広かった。
百済の里&西の正倉院の駐車場へ到着。

ここに来る前に日本史を新聞風に紹介している雑誌を読んでいたので、
百済の里の響きに西の正倉院の文字で拍車がかかり期待は大きく、ここの訪れるまでは百済の王がここに落ち延びて来て、平家のように反映したのではないか、その遺品が名前は違うけど、俗称・西の正倉院に保管されていると思っていた。
実際には百済と関係が有ったのは百済国の王も祀られている神門神社だけなのだが、その関係で神社の入口に「百済の館」が立てられ。 また、祭られている銅鏡が奈良の正倉院と同一品を含んでいるという事で正倉院を再現していたとの事だった。
ちょっと残念だったが、見方を変えて旅のテーマを日本に流れ着いた百済国を追いかけてに絞って、田野町、木城町・比木神社と共に訪れると面白かったと思う。
ちなみに「西の正倉院」、「百済の館」に訪れて、福岡にある水城や博多に作られた防塁などに歴史が繋がっていくのが見て。Σ(□−□ )ほぉと思ってしまった。 歴史が楽しくなる瞬間である。
また、文中に出てきた木城町・比木神社であるが百済国・皇子が祀られていて、年末になるとここより神門神社を訪ねる祭りがあるそうです。

そして、元の道に戻り更に山道へ
 南郷村の民家がある所まではひむか神話街道の案内標識は有ったけど、キャンプ地らしき所を過ぎると完全に山道となる。
 1時間ほど走っていると分かれ道を発見、案内板は脇道方面に椎葉への迂回と書いてあるので....
 迂回道路は本線が土砂崩れなどで通過できない時に案内される道路で、遠回りだったり狭道だったりする。
 カーナビにも存在しない道だったので古い看板と判断して真っ直ぐ走る
 
 それから随分走ると学校やらが見えて来て分かれ道を発見。 ここで、どの道?とカーナビを見ると...
 え? 人吉に近い!? どこかで迷子??? カーナビで椎葉を指定して頼りに走り出す。

 しばらくすると、先ほどとは違う分かれ道を発見、またもここで椎葉方面の道を迂回路とか書いているが、
 カーナビがそっちに行けというので進んでいく。
 峠を越えると、斜面はぞくぞくとするほどの垂直に近い急斜面...大丈夫なんだろうと泣きが入りそうだった。

 12時を過ぎる頃にやっと椎葉村の役場近くに到着しましたが、さすがに運転が苦にならない私でも、
 200Km近い山道には泣きが入ってました。
 椎葉で○○屋敷や民族資料館の観光は、早く山道から脱け出したい気持ちの時に目に止まった駐車が満車だったのでパスしてしまいました。
 実はこの辺り、壇ノ浦の合戦に敗れた平家の武士達が落ち延びた里でも有名だったので興味ありましたが、次回は阿蘇・蘇陽町方面から見に来る事にしようと思います。
 百済にしろ、平家にしろ、この山脈に落ち延びるのが多いのか理由はわかりませんが。
 私は日本の都から離れていている山深い所。 こういった所に隠れたゲリラを掃討するには現代の軍隊でも敵より数倍〜数十倍の兵隊にて山を取囲むようにしないと殲滅できないとの事。 都から遠く離れたこの地では発見も難しいと思います。 
 また、日本神話が色濃いく残っている所なので、神が守ってくれると信じたのかも知れませんね。
 椎葉を抜けると観光バスも走れる道路が続いたのでスムーズに高千穂へ

7/27 13:34 高千穂のファミレスに到着
 いつもの海鮮雑炊にから揚げの単品をつけて、疲れを癒しながらのお食事
 日帰りできる限界地点ですが、見慣れた風景を見ると、先ほどまでの焦りが段々と消えて行きました。

7/27 14:25 天の岩戸神社に参拝
 弟の乱暴に怒って太陽の神が隠れになった天岩戸の洞窟がある神社です。
 聖域なので申し込まないと見れませんが、社殿背後を流れる川を挟んだ反対側の断崖にあるそうです。
 また、八百万の神々が集い神議ををされたという天安河原等もあるそうです。
 隠れた神が顔をのぞかせるようにと洞窟の前で祭りを開いて、女性の神が踊りを思ったとされていますが、
 神楽が、こういった所が発祥なのかな?と思ったりしました。

7/27 19:10 自宅に到着
 高千穂から自宅へは、高森町=>瀬の本=>日田経由で戻っていくのであった。
 帰り道はバイクの集団が走っていたので、そのお供の振りをしていたら遅い車が道を譲ってくれるので予想以上にスムーズ帰れました。