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四国ぐるぐるりんの旅

9月の連休から四国に行きたいと思いながら、なんとなくチャンスを逃がしていた。
 今回も紅葉の写真を撮りに行こうかな?と思っていたけど、インターネットで四国の情報を教えて頂くうちに
 四国に行きたいと思って具体的に計画をしたのが、出発の3日前でした。
 出発の前日も夜遅くまで、観光の下調べをしている内に鼻風邪。 なかなか寝付きが悪かった。

 AM5時に自宅を出発する。 睡眠は4時間だったので、どこかで仮眠をしようと寝袋を積んで出て行った。
 大分県に入った頃に空が白々と明るくなる。 高速を降りて佐賀関までの道が、異常に車が多い。
 ひょっとして、これ全部が四国行き? AM8時のフェリーに乗れるかな?心配。
結局、渋滞の原因はフェリーの先にある工場の通勤渋滞だったので一安心。
 
 8時前に乗船して、静かな席へ と思いましたが、少年野球の団体と一緒なので子供達の叫び声がうるさく仮眠は無理な感じと思っていた。
 しかし、元気な子供達は出港と共に甲板、大人しくしている子供は部屋の中で静かに本を読み始めたので静寂が....
 と思いきや、周囲の人などに構わずに若い女性達が大きな声で騒音を出し続ける。 普通に話せば聞こえないのに(TT)
 子供よりも大人になりかけの女性の方がしつけがなっていないと思ってしまった。
 結局、静けさが訪れないので、 私も甲板にでて、三崎港に到着するまで外の風景を見ていた。

 9時過ぎに三崎港に到着、四国に上陸だ!!
 まずは、讃岐方面にある道の駅(うどん会館が併設)でうどんを食べるために高速へ走る。
 途中、教えて頂いた。じゃこ天を食べに道の駅に立ち寄りました。
 駐車場で頂いたじゃこ天は僕にとっては少し塩辛かったけど、御飯と一緒に食べるのなら丁度良い味でした。
 そう、そう、じゃこ天とは、ハランボとかいう小魚が材料です。 この魚のを頭以外の全ての部分ををすり身にして油で揚げたもので、愛媛を代表する食べ物らしいです。
 ちなみに四国から脱出する際も、じゃこ天うどんを食べましたが美味しかったです。
 九州でいうところの丸天うどんで、丸天の素材がハランボという感じかな? こちらでは鯵、ふぐ、明太の何れかを選びますけどね。
 せっかく、道の駅に立寄ったので施設を散策。 3Fから隣のゲストハウスという施設へ
 何だろう?と思いながらうろうろ、電気関連の展示品が多いなと思いながら窓から見える風景写真をパシャパシャ。 
 後で知りましたが、原子力発電所のゲストハウスだそうで、知っていたらもう少しゆっくりと見学したのに....

 高速に乗って伊予SAでフリーパスを購入する。 此方の方の運転に慣れていないので戸惑いながら後はひたすら高速を走っていく。
 流石にお腹が減ったので豊浜サービスエリアに立ち寄る。 流石に四国なので讃岐うどんがあると言う事で一杯(TT)
 カケで注文するが、うどんは冷凍細めん、それも茹ですぎだった。 トッピングの金糸卵は美味しかったけど....

 うどんが食べたかったので、善通寺ICで降りて 13時頃に金刀比羅に到着する
 酒屋さんの記念館に立寄った後に、参道にあった手打ちうどん屋に入る。
 メニューを見ても良く分らないのでかけを一杯頂く。
 うどんに天麩羅カス、ネギが載っているだけなので、どうも懐かしい味がする。
 記憶の片隅から思い起こすと、九州でいう所のダゴ汁の団子の味に歯応えや味が似ている。
 あはははは....
 日が沈んでから今回目的の屋島に行っても面白くないので、金刀比羅参りをしないで駐車場に戻ってきたら不思議な顔される。

綾南町はさぬきうどん発祥の地 高速ICに乗る途中で、目的のうどん会館のある道の駅滝宮へ この綾南町はさぬきうどん発祥の地だそうです。
 というのが、空海と縁のある智泉大徳さんが、中国から持ち帰ったうどんの技法でここに住んでいた両親をもてなしたのが
 讃岐地方にうどんの最初だそうです。
 ちなみにメニューを見ながら色々と悩んだけど、ここでもかけうどんを注文する。
 しかし、売り切れていた「しっぽくうどん」のしっぽくの言葉が九州人の心には引っかかる。
 九州では四国のように麺を食べるというよりは、麺を調理して食べるといった感じなので、
 しっぽくうどんというのは、長崎の卓袱料理...つまり、長崎ちゃんぽんのようなうどんかな?と想像を膨らませる。
 ※ちゃんぽんの麺がうどんと言うのは、九州では「ドンタクうどん」、「ちゃんどん」といって有名?な食べ物です。

 旅行記を書きながら調べてみると、メニューを見て「かけ」と思っていたのは「醤油うどん」じゃん。
 んで、しっぽくうどんは野菜・鶏肉等の具を煮込んだ出汁をかけたうどん....
 これって、九州じゃ家庭で出すうどん?じゃないかぁ
 と言いながら、麺じたいがシコシコしていて旨味があって四国のうどんは麺食いの人向けのメニューかも知れませんね。
 あつあつうどんに生醤油をかけるだけでなく、生卵をかけてスパゲティーのカルボナーラ風にして食べたりすると聞いた事があります。
 ちなみに私が讃岐うどんの大好きな食べ方は、汁を絞った大根卸を麺の上にのせて、おかかをたっぷりとふりかけます。
 そして醤油をたらして、カボスを絞ってうどんにかけて、これを混ぜ混ぜした食べる。 うまぁかぁ〜です。

 道の駅から出た後は、高速ICを探しながら、途中で見つけた美味しそうなうどん屋に入って、うどんを食べ食べしながら移動する。
 高速にのって志度ICで降りる。 この志度町は、江戸時代の奇才、コピーライターで有名な平賀源内の生家があるので立寄ってみました。
石の民族資料館 出発前から楽しみにしていた平賀源内先生遺品館へ訪れると、運が悪く源内先生を偲んでエレキテルを使って火をつけるイベントが終ったとき。
 九州からせっかく訪れたのに...施設関係者が不慣れなせいなのか? 観光客を無視したイベントになっていた。
 というのが、イベントの打上げの準備やTV局や太鼓演奏のスタッフが後始末でどたばたしている。
 悪気は無いと思うんだけど、こちらは邪魔にならないように遺品を見たり、施設の前で写真を撮っているのに始終邪魔をされる状態が続く。
 結局は不快な気分にならざる得なかった。 二度と来るものか!!

 いらいらしながら、牟礼町にある石の民族資料館へ
 駐車場内には石の彫刻が飾ってあって、一段、上の芝生では家族連れが遊んでいた。
 階段を上っていって、受付で切符を買うと、親切な対応と資料館内で困らないようにと適度&簡単な説明。 先ほどのイライラがスーット消えた。

 常時展示室に入ると、半被姿の人形が石の切り出し、運搬、加工を再現しているので、昔の石工がどんな感じで作業していたかのかリアルに理解できます。
 実際に一緒に見学していた親子連れが人形が動いたと言っていたぐらい、パネルや説明を聞いていると人形達が動き出しそうです。
 館外には石でできたベンチだと思っていたら色々な加工がされているので、ベンチや石の彫刻を見て回るのも一興です。

 PM4時ごろに高松駅方面に向かって走っていると屋島を発見。 そろそろ日が暮れるな〜と思いながら屋島ドライブウェイを使い山上へ
 この道の途中にあるパーキングから源平合戦が行われた古戦場(源平合戦の屋島...檀の浦の戦い)が見えます。
 戦場となった頃の屋島は引き潮の時に陸路になる浅瀬で繋がっている島で、ドライブウェイから見ると河口に見える浅瀬で戦ったようです。

屋島寺 えっと、800年以上の昔、一の谷で敗北した平家は、ここ屋島に逃げ延びて城を築きます。
 少数精鋭で奇を狙った戦いを好む義経は、ある嵐の夜にひっそりと本州から海路阿波を経由して上陸。
 浅瀬が水上へと顔を出した時に、背後の陸地から屋島へと攻め入ったそうです。 
 結局は平家は再び海に逃げ延び、海戦の装備の無く寡兵の源氏は追う事ができずに檀の浦の戦いは終ります。

 私は訪れた時にはきがつきませんでしたが、 海の防備の為に平家が軍船を隠していたとされる「船隠し」、源義経が抱えていた弓を海へ落とし慌てて拾ったとされる「弓流し」 、弁慶が長刀で掘ったといわれる「長刀泉」、義経の身代わりになって部下である佐藤継信が倒れた「射落畠」等、など
 そして一番有名な話で、 沖に逃げ延びた平家。 そこからいっそうの船が岸へと近づき、船に乗っている女官が扇を掲げて源氏の者に射させようとする。
 義経に命令された那須与一。 その那須与一が扇の的の矢の命中を祈った「祈り岩」や命をかけて射ようと馬の足を掛けさせた岩「駒立岩」があるそうです。 また、解説ののった立て札などが立っているそうです。
 屋島の頂上に車を止めて近くの寺へ。 山門をくぐると奥に朱塗の屋島寺、本堂は室町時代の再建されたらしいです。 
 また、同じ敷地内に源平合戦に纏わる遺品があるとは知らず、お参りを済ませて麓にある四国村へと行ってしまいました。

 訪れる前は、こういった史跡の存在を知らなかったのでドライブウエイから眺めるだけでしたが、高松を拠点にして源平合戦と讃岐うどんをテーマにして巡る旅も良いかも知れませんね。
 まぁ、今回のぐるりん旅は四国ってどんな所だろう?とふらり旅。 興味を示せる逸話があるか探して巡るたびなので。 次はゆっくりと訪れたいですね。


 四国村は、屋島の麓の広大な敷地に、江戸から明治にかけて四国4県に散らばっていた当時の暮らしぶりを伝える民家や蔵等が実物展示されている民家博物館です。 ただ、山の斜面に設置されているので、途中でシュートカットしてしまう方が多く。 灯台やその防人達が住んでいた施設を見学する頃には私一人でした。 石作の灯台等が展示されていたので、ちょっと勿体無いような。

 ホテルにチェックインする前に、平家物語歴史館へ
 施設に到着した時には、とっぷりと日が沈み...駄目かな?と思いながら受付を伺うとぎりぎりセーフ。
 1Fは偉人達の等身大の人形を展示していたと思うんだけど、どれも、これも、同じ顔。 たぶん、製作者の顔に似たのかな?と思ってそそくさと2Fへ
 2Fは平家物語より、等身大のろう人形を使って名物シーンを再現していました。 訪れる前に平家物語を読んでいると更に面白いかも知れません。

 高松城址は駐車場が分らないのと日が沈んでいるので、入場できないだろうと傍らを通り過ぎてホテルに到着
 1時間ほど休憩して、ホテルの窓から見える栗林公園へ歩いていく。

栗林公園 栗林公園は秋のライトアップという事で、入口から和風に見えるように道を照らす灯篭も和紙で包んでいました。
 ポスターを見たときは、庭自体が明るいと思って三脚を忘れたまま行ったのですが......
 幻想的に見えるように、柔らかく暖かい光に包まれるような感じで演出されていました。 
 少し話を公園に戻しますね。 この公園はこの土地を治めていた歴代の方々が、維持/築庭してきたようで、四季や日本の風景が圧縮して納められています。
 綺麗にカットされた木々が闇夜に浮かび、池岸に建っている茶屋?等が水面に映えて、蜃気楼のようにゆらりゆらりと目に映ります。
 三脚を忘れたのをこれほど後悔した事は無いですね。 フラッシュを焚くとイメージが違うし。 そのままだと手ぶれが....
 取りに変えるには朝からの疲れがたまりすぎて気が重かった。

 会場を2周して、公園中央にある古びた施設前...昔の校舎の入口ではギターの音色に会わせて、フラメンコ達が踊っていました。
 その横に売店があったので歩きつかれていた私はテーブルに座り、讃岐うどんと地ビールを注文
 そして、肴にとギターとフラメンコ達が踊るときに奏でるタップダンスのような足音の音色を聞きながらしばしの休息。
 うどんは醤油かけよりも、汁をかけたほうが美味かった。 v(〜^)

 突然、パラパラと小さい雨が降り出したのでホテルに戻り寝てしまう。
 夜中に20分ぐらい目が醒めて、直ぐに寝てしまう。


11/16 AM7時にホテルの朝食がないので出発する。 AM6時から開いている栗林公園の近くにある製麺所へ
 場所が分らず、Iモードで調べてみると、日曜日はお休みとの事。 何点か近所を検索するが何れもAM10時以降
 結局、高速に乗ってパーキングエリアで讃岐うどんを頂く。 昨日の昼にSAで食べたうどんより美味かった。

 川之江JCTから徳島道へ 進むに連れて段々と見える景色は険しい山々に変化している。
 最初、予定していた国道での峠越えだと、随分と時間が必要だったかな?
 高速から見える景色は、前日の夜が雨模様だったので、山にかかっている雲が生き物のように動いていた。
 そして、井川池田から国道に降りて大歩危を目指して走り出す。

大歩危 小歩危は止める場所がないので通過、大歩危も観光できる場所は?と思っていたら観光遊覧船をしているお土産屋を発見
 ここで切符を購入して、B5Fに行く感じで川岸まで降りていく。 ぜぇぜぇ....日頃の鍛錬が足りない。
 遊覧船から見える景色は、川面から磨かれたよう岩や紅葉に染まる木々などが見られて綺麗でした。
 大歩危:小歩危の名前の由来は、四国山脈を吉野川が流れているのですが、度重なる荒水で結晶片岩が壁のようになっている渓谷です。
 この渓谷を昔の人は小股で歩いても危険だから小歩危、大股で歩いても危険だから大歩危といった名前を付けたそうです。
 また、この岩は大歩危では高松の空へと伸びるように断層になっていて、小歩危は聞いた話ですが逆に高知の空へ伸びるようになっているそうです。
 時折、この渓谷沿いを列車が走っていましたが、列車で往復してくるのも良いかも知れませんね。

 遊覧が終ったら隣にあるラピス大歩危という石の博物館へ立寄る。 ツーリングの団体が休憩していたようで、路面が濡れていて寒い日だったので、ほぉ〜と感心しながら私は駐車場の隅に停車する
 施設内の入口では、石でできたゴジラやアンパンが出迎えてくれた。 ミッキーマウスもあったけど...どう見ても似ていなかった。
 そして、左側のお土産屋を兼ねた休憩施設では先ほどの団体が休憩していて、私は博物館側へ
 岩石の種類等を展示しているだけなので、す〜っと見て回る。 面白かったのは夜になると光るほたる石など。
 闇夜で光る石を見て、宮崎監督作品の天空の城・ラピュタを思い出してしまった。

 この後、ガソリンを補給して引き返して祖谷へ。 地図を見ると秘境といった感じだったが、大歩危からかずら橋までは道が整備されていて思っている程ではなかった。 運転に自信の無い方は祖谷渓谷観光はパスして、かずら橋へと行く方が良いかもしれない。
 祖谷の途中に平家屋敷民俗資料館の看板を発見。 さっそく立寄りろうとするけど入口が見つかり難くく周辺を何度か往復して発見。

平家屋敷民俗資料館 車を止めて資料館へ ここは安徳天皇の主治医が落ち延びてこの辺へ訪れた時に、この近辺の薬草が豊富ということを知り住み始めたそうです。
 さすが医者ですよね。 落ち武者狩りから逃げているのに、考える事は世の為にという所に関心しました。
 また、資料館は茅葺き屋根の家なんですが、九州に点在する平家に纏わる家とは違うのです。 こちらの方が土地に交わって生活をしている感じで、九州は隠れ偲んで、いつか勢力を巻き返すぞといった印象を受けます。
 家内に展示してある平家に関る宝物や古文書、昔の生活用具が展示されていて、今でも生活感が残っています。
 資料を見ながら昔を想像していくとタイムワープした感覚に陥り、小さい頃に読んだ昔話を思い出しました。 この家の周辺だけ、時がゆっくりと進んで感じです。 ここで庭ではカゴメの歌等の童謡を歌会や、囲炉裏端で昔話を読む聞かせるイベントを開かないかな? ベストマッチしそうです。
 また、家から外を見ると、庭には紅葉したもみじが、遠くの山々は尾根を雲が龍となって這いながらどこかへ身を隠していくと言った感じでした。 ほとんど、水墨画の世界でした。

 見学した後に祖谷へ。 峠を抜けると祖谷ソバ屋さんがあるんですが、ここが不思議。 忍者の人形がこの蕎麦の壁を登っている感じで展示されています。 峠を抜けるので気がつき難いと思いますが、注意してみてください。 
 道の駅を抜けて「かずら橋」を通り過ぎる感じで見学と思って通過する。 観光客は多いが橋近くの駐車場が空いていたのでUターンしてかずら橋を渡りに行く。
 私、高所だめだめ病なのに、前日の四国村でのかずら橋が怖くなかったので列に並んで橋を渡る。 景色を眺めるどころか、まったくの余裕なし。
 下を見なければと思うが、下を見ないと足を踏み外しそうで目線が行く。 下を見ると歩幅と同じぐらいに板が有るが、大きな隙間から川が見える
 既に恐怖感は飛んでしまって必死で向こうへ(@0@ ) 流石に場所が場所だけに釣橋を揺らす人がいなかったのでどうにか向こうへ渡れた。

 車に戻り、かずら橋で流した汗をサッパリとしたかったのと、旅の疲れで足が浮腫んでいたので、道の駅の横にあるホテルの温泉。祖谷・秘湯の湯へ向かう。
祖谷のかずらはし 途中、トラックバスと離合する。 そういえば、乗ってみたいと思いながら終日観光コースでしかなかったので,乗車を諦めたが。 
 数台のバスを見かけると、普通に走らせているのかな? それなら、道の駅辺りで乗り込んでかずら橋までこれで行きたかった。
※実はボンネットバス(トラックバス)を使った祖谷定期観光バスが走っています。 JR阿波池田駅を発着点に、大歩危峡舟下り、ラピス大歩危、平家屋敷民俗資料館、かずら橋、祖谷渓谷の小便小僧など、祖谷の名物を1日かけて回るそうです。

 数分走ると温泉に到着。 秘境と言う割りには立派なホテル&隣接する温泉館といった感じ。 対応などはホテル仕込みといった感じで良すぎるのが、ちょっと雰囲気を崩していた。
 湯質はアルカリ性単純泉で、祖谷の山々を見ながら露天風呂に浸かり、塩サウナにも挑戦。
  塩サウナは浮腫んでいた部分から汗がどばっとでて良くなり、皮膚病にも効果がありそうです。
 温泉から出ると、ちょうどお昼時になっていた。 早く高知観光をと吉野川沿いの道に戻り高速へ

 南国ICから降りて、鍾乳洞を見ようと思っていたが道が分らなくなり高知市内へ
 結局は高知市全体を見渡せる五台山へ この山は高知県を代表する夜景スポットして有名で展望台からは高知市内が見渡せます。
 市内に隣接した自然豊かな場所なので私が訪れた時にはランニングをしている方々が多く見られました。
 展望台の周辺は庭園風で散策できて、途中にライオン宰相の銅像も.....しかし、高知はこういった像が多いような気がする。

 海岸線にでて浦戸大橋経由で月の名所・桂浜へ 駐車場へと繋がる道路は何故か大渋滞。 坂本竜馬の誕生日の翌日?だから何かイベントでも開催されているのかな?と思いながら...1時間後に駐車場へ
 坂本龍馬記念館がオープンした記念に桂浜で小さな剣士の試合や投網を綺麗に投げるかの競争。
 坂本竜馬の像の横に櫓が立っていて、像を近くで見れるようになっていた。 この像ですが彼のファンからの寄付金により造られ、その70年後にファン達によって修復されたそうです。 
 お店が集まっている場所に戻ってくると放送局がサポートするコンサートも開かれていました。 撮影/録音は禁止とのプラカードを持った方々がうろうろしていたので地元では有名な方々見たい。
 知らない方々だったので会場全体の雰囲気を撮影するぐらいなのに、プラカードが出ていると有名人なんだと小さなカメラでこっそりと撮影する方でそう。
 PM2時近くまで昼飯を食べていなかったので、ここの売店で龍馬うどん...味噌味のしっぽくうどんを食べながら音楽を聴いていました。
 ※こういった汁ありのうどんがおいしいけど。 流石に旅行中に7杯近く食べたので飽いてきた。
高知城 食事が終ると桂浜に隣接している丘に建築された坂本龍馬記念館へ 館のデザインは太平洋へと乗り出すような感じのデザイン。
 たぶん、桂浜で日本舟の進むべき道を語ったのを題材にしたのかな?
 館内は坂本龍馬を中心にした幕末の資料館といった所でしたが、こちらには興味を示さずに館内や展望所から太平洋を望めていました。

 ホテルにチェックインする前に高知城へ この城は江戸時代の姿で現存していて、全国でも珍しいそうです。
 そう言われてみると、江戸時代に入って1藩1城になって廃藩置県で更に減っただろうし、前世紀の戦争で破壊されただろうからね。
 さて、この城は高知市内にあると言うので政を行うのに相応しい平城と思っていたら、戦闘を考慮した平山城でした。
 市内を展望できる小高い山に天守閣があって、山は城塀という迷路になっています。
 ゼェゼェハァハァ言いながら上ると、本丸正殿は懐徳館という名前で資料館となっていました。
 天守閣ある庭に繋がる回廊は、重臣の部屋があってそれらを通過しないと到達できなく。 それも橋になっていたりします。
 天主へ登るにも急な階段で....途中で諦めました。(笑)

 城の観光が終った後はホテルにチェックイン。
 しばし旅の疲れを癒してから、竹林寺の僧侶とお馬の恋物語、「坊さん かんざし 何を結う」と歌までなった有名なはりまや橋を見に歩いて出発。
 むかし、高知は豪商播磨屋と富商柩屋という大店が堀川の対岸にあって、お互いの往来の為に架けた私橋が後に「はりまや橋」と呼ばれるようになったそうです。
 以前、私が訪れた時は、堀川は埋められていてこの橋も赤い欄干のみでしたが、数年前にはりまや公園として整備したそうです。
 公園は石の欄干だけでなく、明治時代の鉄製橋、みんなのイメージを元に江戸時代の朱色の橋が建てられているそうです。
 私は公園になっているとは知らず、「はりまや橋」が再現されたと思って朱色の橋を撮影してきました。

はりまや橋 ホテルへと帰る途中で蒸し寿司という珍しいものを発見。 寿司屋だったいで高いかな?と思いましたが「時価」という文字が無かったので席へ。
 そこで蒸し寿司、鰹のたたき、生ビールを注文。
 蒸し寿司は私が知っているチラシ寿司。 練り物を少し多めに蒸し器で暖めたものでした。 帰ってから調べてみると、どうも秋から冬にかけても高知名物だったようです。 寿司というと冷えた酢飯の上に山海の季節物がのっている感じでしたが、暖かいというのは不思議な感じでしたが美味しかったですね。
 また、鰹のたたきは私が言うまでもなく美味しいです。 高知の鰹のたたきは、ネギ、玉ねぎの刻みに、大きくスライスした大蒜がのって、いつも食べている食べ方と少し違いました。
 そういえば、自分で鹿児島枕崎にある鰹公社に買いに行く事があるけど、料理として注文したのは初めてだった。 九州ではどのようにして食べるんだろう?
 私はかつおをブロックで買ったときは、冷凍のままコンロで表面を炙り焼きします。 こうすると表面は熱で旨味がまして中身は刺身状態なので、素人でも美味しく食べれます。 まぁ、かつおに刺身醤油をぶっかけて食べていますけどね。

 食事が終わりホテルに戻って、9Fにある風呂に入り足裏マッサージを頼む。 初めての経験でしたが仰け反るほどは痛くありませんでした。


 06:30に目覚めて、足の疲れが取れていなかったので、お風呂に入りに行く。
 07:00に朝食をとりにレストランへ。
 ホテルの食事って期待していないし、他のホテルより安かったので何も考えていなかったら
 焼きたてのプレーンオムレツ、ドレッシングをかけるのが勿体無い水々しいサラダが出てきました。
 可也、良い方に期待が外れて、リッチな気分で朝食を頂く。

船母 7:30には出発して高速を利用して、 四万十川の遊覧船に乗ろうと中村市へ
 途中の佐賀町の海岸線を走る。 くじらウォッチングが有名らしいが、海岸線からの風景が綺麗だった。
 ん〜....もう一日、宿泊するならゆっくりと海岸線を散策したいと言う誘惑を振り切るように通り過ぎる。

 09:45頃に市内へ入ったものだから、乗船場を探していると間に合わないと慌ててしまう。
 ※こういった急ぎ旅というのがいけないのだと思うが。
 結局、遊覧船乗り場の場所を間違えて逆方向に走ってしまうが、これが大正解。 船母船の乗船場へと辿りつく。
 予約があるので乗れない話をされていたが、諦めて帰る直前にその団体が1時間遅れと連絡。
 遠くから来たからと言う事で3人の客を乗せて船母船は出港しました。

 船母船の陰で鮎たちが気持ちよく泳いでいるし、出港して深瀬に来ても底が見えるので浅いと思っていたら、ここで水深8mとか言われたり。 四万十川の綺麗さにただ驚くばかりです。
 帆かけ船でゆらゆら揺られながら河岸にそって昇っていくと、餌をとりに来たカワセミが私達を見て逃げることなくエメラルドグリーンの翼やオレンジ色の腹を見せてくれた。
 遠くでは川鳥達が餌を狙って泳いでいたり、空を飛んでいたり... 沈下橋から見える中洲に上陸してひと休憩。橋を渡るマイクロバスや観光客。 四万十川流域の風景を見ていると時間がゆっくりと流れている錯覚に陥ってきます。

 船頭さんからのアドバイスで、狭い道を走って沈下橋(増水した時は川面に沈む事を前提に考えた橋)へ
 橋の入口付近に車を止めて歩いて渡り、川が流れているところで座って、山野や川面を眺める。 目が自然に慣れてきて、鮎が川を優雅にゆったりと泳いでいたり。 小さな鳥が川面でお辞儀をしているので、何をしているのかな?と思った。 次の瞬間に水中を飛ぶように泳いで、水面に顔を出すと餌を食べていたり。

四万十川・沈下橋最初は北上する予定だったが、友人が足摺のたたきが美味しいと言うので南下する。
 走る事、1時間強で灯台のところに到着。 観光客は誰もいなく、灯台を修理していた方々が弁当を食べながら観光をしていた。
 足摺岬から海を眺めた後、駐車場近くのレストハウスへ。 景色の良い席は日があたるので空席となっていた。ラッキー
 んで、ここでも鰹たたき定食を注文。 鰹たたきは美味しかったけど、驚いたのは定食についてきた小鉢
 なんと、鰹たたきに辛子味噌を和えていた。 鰹のたたきに鰹のたたきの小鉢?(〜〜)と困惑気味に口に運ぶ
 口に運んでビックリ。 いや、はや、辛子味噌との相性が良いとは信じられないぐらいに旨かった。

 食事が終わり。1時ごろに愛媛、そして四国より九州へ戻る為に出発。 四万十川流域の狭い道を走る。
 狭い道路なのに多くのダンプとすれ違うのには驚いている。 時々、状況を読むのが下手な車でペースダウン
 広い直線では私より速いが、狭い道路のコーナーで曲がれない?為に出口で止まったり。
 対向車がきている事が分るのに離合できる場所でまたないで突っ込んで。 おろおろしながらバックしてくる。(^^A
 結局、広い道になった場所で無理して抜いたけどね。

 流石に3時間近く走っていると運転に飽きてくる。
 そろそろ高速と思いきや宇和島市内で道路工事中の影響で大渋滞にはまり、松山越えだと帰れなくなりそう。
 迂回するが高速道路を使ってしまなみ街道を目指す。

 PM4時だというのに、視界は段々と夕焼けに包まれていく。
 気持ちは焦るが制限速度厳守、今治へ向かう道路に乗り換えた頃にはどっぷりと日が沈んでしまった。(TT)
 日が落ちてまもないから、ライトアップしていないかな?と期待したけど.....
 四万十川・沈下橋ライトアップする日が決まっていて、この日は(××)何の為に苦労して来たのかぁ。
 これなら海岸線を走って三崎から九州入りすれば良かったかな?と後悔しつつ
 四国最後のSAで夕飯を兼ねた、じゃこ天うどんを食べる。

 しまなみ街道内は日が暮れてから走っても、一般道を走っている感じで面白くなかった。
 2年前に走った時を思い出しながら、そういえば、ここに○○があったなと思い出しながら本州へ
 尾道ICから高速と思っていたら、気がつくと福山ICだった。 尾道観光もパスして高速にのる。
 福山から広島までの高速道は車が多く、遅い車を抜く為に追越車線に移ると飛ばす感じになっていた。
 元気な時なら問題無しだけど、疲れてからか? わずかだけど意識と体の反応に差が生じてきた。
 広島から山間を抜ける中国道は交通量が少ないかな?と思って、少し遠回りになるけど移動する。
 
 中国道に入ると高速と言うのに車がほとんど走っていない。 
 標識のライトアップも最小限度なので、ライトの明かりだけを頼りに走っていく。
 時々、通過する。 PA,IC周辺を照らす街灯が、砂漠でのオアシスのように感じる。

 PM9時に鹿野SAで晩飯を食べる。 食事中にバスの団体客がぞろぞろと増えて来たので、食べ終わると同時に出発した。
 美東SAでガスを補給して再出発する頃には高速を走る車も増えてきた。
 日が変る前に自宅に到着。 風呂に入って寝る。