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 雪舟さんは有名な方なので名前は知っている方が多いと思いますが.....知っているといっても、小さい頃に昔話で聞いたぐらいかな?
むかし、むかし、のちに雪舟と言われる方が、小僧時代に絵が好きで寺に入門しても修行を怠けて絵ばかり描いていたそうです。 ある日、いいかげんせいと和尚さんが罰として柱に縛りつけたそうです。
 小僧が泣き止んでしばらくした頃に和尚さんが様子を見に行く、床にこぼした涙を足の指でなぞってネズミの絵を描いたていたそうです。
 そのネズミが生きているようだったとか。 あまりにも優れていたので、それからは絵を描くことを許したそうです。

 こういった感じだと思うので、話をはじめる前に、雪舟さんは戦国時代の幕開けに活躍した画家で日本の水墨山水画を完成させたそうです。
 17歳の頃に、室町幕府と縁の深かった寺で修行を積んだそうです。 訪れた現在の益田市に身を寄せるようになったのも、京都が戦国時代へと繋がっていく戦乱が続いた為に各地へとき避難していたそうです。 そんな時に当時としては大陸貿易(宋の時代)による豊かな冨を背景に文化芸術等に造詣の深かった大内氏に呼ばれてこの地に住むようになったそうです。
 途中、この時代の先進国である中国(明)へと渡り修行をして戻って来た頃。 大内氏が荷担した応仁の乱の最中という事もあって、九州は大分で画房『天開図画廊』を開いたり、諸国を旅したそうです。
 流浪の途中でなくなったとか、 又は、晩年に山口県に戻ってきて益田市で晩年を迎えたとか。
 戦乱の始まりに生きた画家...僧であるため実際の記録はなく、彼を偲ぶ方の言い伝えが多く残っているのかも知れません。
 どこでなくなったのかは定かでないが墓石があるのはここ益田市だけであるとか? 
 もしかすると、今でも大陸貿易で栄えた港を眺めて、死んだ今でも新しい文化を学ぼうとしているのかな?

さて、話は戻って旅のお話へ。
 最初は福岡・秋月に行くつもりで出発したが、3月下旬並みの暖かい日差しで気持ちが変わって出雲/松江の旅の帰り道に立ち寄った益田市へと向かう。  山間部は積雪が気になっていたが、美祢ICから萩に抜けるまでは痺れる程に寒かっただけで、萩市内に出た頃には日差しが暖かかった。
 冬にしては暖かいので海岸線を走って益田市へ。 海岸線を走る道路から山から海へ。
 石見空港の導入塔が見える場所に差し掛かると、駐車場に...何?  車を止めて近づいて見ると、何故かストーンヘンジが。 海辺の岩場には釣り客が釣をしていたんですが、岩場に灯篭?が??
 この海岸は昔から青竹と白い砂浜で有名で「三里ヶ浜」と呼ばれていた海岸で、今は激しい波で白い砂が少なくなってしまったそうです。 でも、このオブジェについての説明が見当たらず、帰ってきてインターネットで調べても....分からずじまい。 何だろう?

 とりあえず持石海岸にあった益田市内の案内観光板を見て雪舟庭園で有名な萬福寺に向う。
 お寺は昔からある住宅街の中にあるお寺で益田川沿いにありました。 車を止める所が分からずにもう少し先まで走って、駐車場らしき所に止めてお寺へと歩く。
 川の対岸には小学校があって川では川鳥が気持ちよく泳いでいました。 川へと下りる所では小学生かな、釣をして遊んでいるのを見ていると、この風景は旅のCMに登場しそうだなと思ったり。
 萬福寺に辿り着くと、幼稚園を運営しているので、敷地内に無関係な人が入って良いのかな?とどきどきしながら入園。
  この萬福寺は海岸にあった安福寺が津波によって流失したその後に再建されて、時の権力者に現在の地に移築されたそうです。 御堂自体も日本の戦いの歴史から逃げ延びていて、今でも鎌倉後期から室町初期の様式のままを見せてくれます。
 ここのお寺を有名にしたのは、雪舟さんが設計した宝物庫裏にある庭園です。 この頃の有名な建物である銀閣寺や金閣寺に比べると、シンプルな作りなので眺めるだけで終ってしまいそうですが、水墨画をカラー仕立てにして動画で撮影したような印象で、梅が咲いて鳥が訪れるまで眺めてしまいそうでした。

 雪舟をテーマに益田市内を散策していたので、次は....どこへ行って良いのか分からなかったので、近くの歴史民俗資料館へ
建物は何だか懐かしいと思っていたら、大正に建てられた役所だったとか、中では遺跡・古墳の出土品や生活用具を展示していました。 特に壁にかけられていた十数個の古時計は思わず歌を歌ってしまいそうでした。
 ここで小学生が社会勉強の時間を利用して作った、益田市内の案内地図を見ながら雪舟と関連のある施設を記憶。 〆(^o^ )メモメモ
 こういった子供が作った観光地図って道の駅や市のホームページで紹介しないかな? 意外と役に立つし面白いんだけどね。

 雪舟が住職として住んでいた益田家の菩提寺である医光寺に行くと益田七尾城の大手門が医光寺総門としてたっています。 民家が並ぶ入口に立っているので、あれ?という感じで気が付きます。 この大手門は益田氏が関ケ原の戦いで毛利の軍門に下った時にここに移築されたそうです。
 駐車場に車を止めて寺へとはいっていく。 しかし、このお寺の周辺は焼物が多いので、近所を散策してみるのも良いかも知れません。
 さて、話を戻して寺の中に入ると長い廊下。 テクテクと歩いて行くと本造があって、いかにも立派なお寺らしい感じ。 その奥の離れにもも何かがあるので入ってみると....奥に三対の仏像があって、それ以外の三つの壁には窓の上に色々な動きをした像?が。 まるで、宮崎監督作品の風の谷のなうしかに出てくる神院のようでした。 この像は神様を模したというよりは、賢者を模したといった感じでした。 個人的には入口付近にいた、さて、おぬしの悩みを聞こうといいたげな像に見とれてしまいました。

 そこから回廊を巡り雪舟庭園へ。 こちらはこの土地の豪族の菩提寺というだけあって華があります。
 萬福寺の雪舟庭園が住んでいる人の為に拵えたとしたら、医光寺の雪舟庭園庭園は、はるばる遠くから来たお客さんを持て成すように作られた感じです。 庭が良く見える部屋に庭園の四季という写真集があったので、しばらく、庭を見ながら写真集を見ていたら、冬場に訪れたのを後悔しました。 そう、そう、忘れてならないのが雪舟の作品かな? 色々な中国様式の絵や書道作品が所々に飾ってあって、小さな美術館巡りをしている感じです。

 その後に雪舟が最晩年をすごした東光寺跡を探して大喜庵へ 雪舟の郷記念館の庭内にあって、施設内は何度も訪れていたので裏手にある大喜庵へ 最初に晩年の雪舟が硯水や茶の湯のために愛用した泉に訪れて、絵や美的感覚が優れるようにと願いして雪舟廟(墓)の方へ 他の墓とは違って位牌を入れるような感じでした。



                                 The end